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羽田の地域コラム

羽田周辺の歴史ある神社・稲荷をご紹介します。近くにお越しの際は散策に立ち寄ってみては。

羽田神社

徳川・島津・藤堂家にも厚く信仰された神社
千貫大神輿の羽田まつりは有名

約八百年前、鎌倉時代に領主行方与次郎が、牛頭天王を祀ったのがその起こりとされています。徳川時代には、徳川家・島津家・藤堂家などに厚く信仰されました。
明治元年(1868)年の神仏分離令により自性院境内に祀られた牛頭天王社は、八雲神社として独立、明治四十年に羽田神社と改称されました。

7月最後の土・日に行われる夏季大祭「羽田まつり」は、神輿の担ぎ手だけで3千人、3万人を越す見物客が訪れる城南随一の賑わいです。
この祭りの大神輿(千貫大神輿)は神輿を左右90度に倒し大きくローリングしながら進むもの。右の人が跳ね上がると左の人がしゃがむ、これを交互に繰り返す勇壮で独特な担ぎ方で有名です。

東京都大田区本羽田3-9-12
京浜急行大鳥居下車、徒歩5分


◆穴守稲荷

羽田を見守る地域の守り神

穴守稲荷は元々、風浪のため鈴木新田海岸堤防が潰決して新墾田を荒らすことを防ぐ為、地元の鈴木弥五右衛門が中心となってこの島の堤防を築き、新田を開発したのがはじまりです。穴守稲荷はこの開墾地の守り神として1819年(文政2年) 堤上に祀られた小社でありましたが、1885年(明治18年)には内務省から認められ、正式の神社へと昇格しました。

元々は要島とよばれた島のなかにあり(現:羽田空港内)、1894年(明治27年)には偶然鉱泉が発見され、門前には鉱泉宿や割烹料理屋、土産物屋が軒を並べ、一大門前町を現出させることとなりました。 春の潮干狩、夏の海水浴、また、渡しを利用して川崎大師を参詣する者など、穴守稲荷は庶民のリゾート地として発展していきましたが、やがて昭和10年代に入ると軍事色が強まり、羽田も軍需工業地帯へと姿を変えていったのです。門前の食堂や鉱泉宿も工員相手の食堂や寮、社宅へと様変わりし、遊山客はまばらとなっていきました。
戦後、1948年(昭和23年)に現在地に境内を定めて遷座し、現在に至っています。

東京都大田区羽田5-2-7
京浜急行空港線穴守稲荷駅から徒歩約5分